
当山は、応永9年(1402年)に伊万里の腰岳の麓に、妙顯院日性上人により開創されました。その後町の発展に伴い三度(腰岳麓→長谷→朝日町→立花町)移転し、現在地は明治32年からです。今でも開創の地は法華谷、法華川という地名が残っています。伝承によりますと、元寇の乱以降外国からの侵略を防ぐための祈祷所として建てられたといわれ、開山上人は千葉の出身であります。また、日蓮聖人の大檀越であった富木常忍(常修院日常聖人)の御分骨と思われる包みが伝わっています。
明治期には、第26世松島日靜上人が宮中や宮家に御祈祷のため幾度と召され、宮中秘伝薬「加味四物湯・神妙婦王湯」の製造販売を許可され、当山の振り出し薬として有名でした。同時期には佐賀の偉人副島種臣が参拝し、当山を「江山第一楼」と称えた扁額が寺宝として残っています。
創建当時より伝わる銅像誕生仏像は、6~7世紀のもので県内最古の仏像です。平成12年に佐賀県重要文化財に指定され、現在は県立博物館に寄託しています。
清正公堂
境内にある清正公堂は、伊万里の松島町生嶋にあったものを移築したお堂です。加藤清正公が朝鮮出兵の折、生嶋に立ち寄られたとの伝承があり、成富兵衛(※成富兵庫の孫)が伊万里湾干拓で派遣された際、祖父の兵庫が加藤清正公に格別の恩義があるとの想いで、お堂を建立することになりました。当時松島町地区の大地主であった東島家が当山の総代であったため、清正公堂建立が実現し当山へ寄進されました。加藤清正公・成富家・東島家は日蓮宗の大信者という共通点があり、法華経お題目の縁が結ばれたお堂です。明治の廃仏毀釈が起こった際、近くの松島神社の土地の名義になり、昭和の末に当山境内へ移築しました。松島神社も元は東島家の屋敷神でありました。
